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気合! 入れて! いきます!

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・金剛型戦艦2番艦。金剛はイギリス製デース{お姉さま少しお静かに}明治の終わり頃に建造された艦であり、太平洋戦争参加艦としては最古の日本戦艦。
御召艦(おめしかん)になったこともある由緒ある艦。
ただし、比叡が公式に戦艦でいられたのは、1931年6月~1932年12月までのごく短い期間だけ。
しかも艦籍は「練習戦艦(下記及び改二に詳細)」であったため、帳簿上では沈没時も「練習戦艦」とされていた。

•巡洋戦艦として建造されたため、艦名は「比叡山」から。同名の艦としては二代目。
初代は金剛型コルベット艦2番艦の比叡。姉は二代目同様金剛であり、こちらは二人姉妹で共に英国製。
この初代姉妹はエルトゥールル号遭難事件の生存者をトルコへ送り届けたことで知られる。
初代比叡は、日清戦争黄海海戦にて「敵艦の包囲を単独敵中突破し生還」という武勲を成し遂げた。
その戦闘で蜂の巣穴の如く被弾した軍艦旗は「名誉の証」として二代目比叡に受け継がれ、式典等で掲揚する事が習わしであった。
同名鑑はこのように、名とともに栄誉も受け継ぐのである。

oまた三代目として、はるな型ヘリコプター搭載護衛艦「ひえい」(DDH142)が2011年まで就役。
就役期間36年3ヶ月は海上自衛隊最長記録ホルダーである。

1/700 ウォーターライン 比叡 (110)ミクロマンアーツ/艦隊これくしょん-艦これ-MA1008 戦艦比叡
1/700 ウォーターライン 比叡 (110)
ミクロマンアーツ/艦隊これくしょん-艦これ-MA1008 戦艦比叡



•名目上は国産戦艦だが、配備を急ぐため兵装や部材のほとんどをヴィッカース社から買い付けている半ノックダウン生産艦。

o中破時のセリフの「お姉さま譲りの装備」はここから来ているものと思われる。
oそれを反映してか、カードイラストでは微妙に眼の色が薄く、髪も金剛同様の茶髪。
oカードイラストでは、霧島も碧眼であり榛名のみ瞳の色が違う。
これは、竣工時に榛名以外の姉妹3艦が同じタービンを搭載していたところからくるものか。

oまた、比叡本人は金剛との関係を「妹分」とも称している。妹分とは「義妹」もしくは「妹のように親しい人」のことである。
これは、設計図こそ四姉妹ほぼ同じだが、「英国製の金剛、半ノックダウンの比叡、純国産の榛名・霧島」と、複雑な家庭の事情製造された環境を鑑みての発言と思われる。

•ゲームでは金剛お姉さまにぞっこんの比叡だが、史実では金剛との絡みはあまりない。

o姉妹艦でも速力に差があり、若干速い金剛&榛名、若干遅い比叡&霧島で分けられることがほとんど。
金剛と組んでいたのは開戦時からミッドウェー海戦までだったり。

oさらに転生後は「こんごう」と姉妹にすらなれなかった。お姉さまははるな(DDH141)だったりする。
金剛型から襲名するこんごう(DDG173)、はるな、きりしま(DDG174)は全て三菱重工長崎造船所製。
しかし「ひえい」だけは石川島播磨重工東京第2工場製だった。

•金剛型は戦艦への改装が順次実行されるが、比叡は進捗状況が姉妹の中で一番遅れていた。
そして比叡改装途中にロンドン海軍軍縮条約が締結し、その影響を受けて作業がいったん中止となる。

o2年半にもおよぶ放置プレイ作業中止の後、条約に適合させる為に戦闘力半減という逆大改装を受けて練習戦艦となる。缶は半減、舷側装甲板や四番主砲塔を撤去され、後に戦記作家になった吉田俊雄はその無残な姿を「お年寄り」と呼び、後に最後の艦長になる西田正雄は涙を流して悲しんだという。

•練習艦となった比叡はスケジュールや艦内設備に余裕が出来たため、その後の大改装までに数度に亘り御召艦の栄誉を賜った。




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撃ちます! あたってぇ~!!




•実際には、ノックダウン建造という不慣れな建造形態だったこともあり、細かい不具合が多く乗組員を悩ませた。練習戦艦へ配転され、後の大改装が徹底したものになったのは理由がないわけではない。

•最終的には、他の姉妹が数度に分けて実施した改装を一挙に実施すると同時に大和型の技術的テストベッドとなり、大和型戦艦に採用される塔型艦橋に改装。金剛型姉妹の中では最も見分けやすい艦となった(他姉妹は艦橋が檣楼型)。

oまたこのため、金剛型で唯一『前部(一、二番)砲塔だけ』『後部(三、四番)砲塔だけ』での統制射撃を行うことが可能な艦となっている。

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o注排水装置、弾火薬庫冷却装置、砲塔駆動水圧装置など補機類も、大和型に採用される予定のものが搭載されて性能が確認されている。他三艦……というか大和型と比叡以外の戦艦はすべて『全砲塔での統制射撃』か『各砲塔での各個射撃』のどちらかしかできない。
もっともその有効性が実戦で発揮される機会はなかった訳だが……。

o完全に余談ではあるが、大和型テスト艦にも使用された比叡の名を継ぐ海自の「ひえい」は、映画「男たちの大和/YAMATO」において、彼女の航跡を撮影したものをCG合成し、大和の航跡が写るシーンとして使用した。同じく、彼女の内火艇も作品中で使用されている。大和と比叡との縁はかくも深いものであった。

•他の3姉妹の改装での不具合を全て改善した結果、バルジが拡張されて全幅が1m大きくなった。内緒だよ?

•成功裏に終わった金剛、榛名によるガダルカナル島ヘンダーソン飛行場砲撃を、今度は比叡、霧島で実施することに。これにより第三次ソロモン海戦が惹起することとなった。
勝利に浮かれる軍部に対し、昭和天皇が「初瀬・八島の例がある、待ち伏せ攻撃に気をつけろ」と戒るが、参謀の独断により現地部隊への伝達がされなかった。
戒めの言葉が届いたことによって未来が変化したかどうかは神のみぞ知るところだが、結果として比叡は待ち伏せ攻撃を受けることになる。

•海戦史上最大の混乱をきたした第三次ソロモン海戦で奮戦し、軽巡アトランタに初弾で命中弾を与えた。
しかしながら、探照灯照射を行った艦の宿命、それも大型艦であったため、敵艦多数の集中砲火を浴びた。
相手は巡洋艦や駆逐艦だったが、装甲の薄さが災いし艦橋を含む上部構造から船体にかけて次々敵の砲撃によって損害が発生し、艦内電話は不通になり、発砲電路も切断され一斉射撃が不能に。しかも艦尾の装甲部分を撃ち抜いた砲弾によって舵取機室舵、電動機室が浸水し、操艦が不可能になってしまった。

o奇しくも(予期せずだったが)小中口径砲の集中砲火で戦艦を無力化させてしまう戦法は、日清戦争時に清の定遠級戦艦に対して日本海軍がとった戦法と同様だった。

o味方艦艇による曳航や近くの島へ座礁させることを検討されるも、夜が明けると断続的に米軍機が飛来するようになる。
復旧作業もままならなくなり、支援部隊「隼鷹」からの零戦による援護の甲斐なく比叡の損害は時間と共に拡大していく。
このままでは作業続行も曳航も不可能である、と司令官は比叡の自沈を決断した。

o当初は退艦を拒否していた西田艦長も、機関室全滅の報告を受けて総員退艦を決意し、駆逐艦「雪風」へ移される。
西田艦長はあくまで比叡と運命を共にすると言って聞かず、部下たちの説得も頑として拒み続けた。
部下たちは、将来連合艦隊司令長官になるべき器である俊秀の艦長を死なせまいと、大暴れする西田艦長を数人がかりで無理やり取り押さえ、救命艇へ押し込んだ。
艦長は最後まで「俺を卑怯者にしないでくれ!武士の情けだ、俺を比叡とともに死なせてくれ!」と絶叫し続けていたという。
しかしこのような部下たちの努力もむなしく、後述する通り、乗艦を捨てたとみなされた西田艦長には冷酷な運命が待ち受けていたのであった。
•機関室全滅の報が実は誤報である事を知らされた時には、既に味方駆逐艦から雷撃が撃ち込まれていた。
雪風にて魚雷発射音を聞いたという話もある(戦闘詳報に魚雷発射の記載は無い)。

•比叡の戦訓から応急舵(戦艦が艦尾に付けている四角い板)を開発、常備するようになったそうです。

•雷撃処分の遂行途中で、「大和」司令部の山本司令長官より処分撤回命令が出される。
「浮いている限りは輸送船団への攻撃を吸収する可能性がある」との黒島先任参謀の主張が理由であるとされている。

o護衛に来ていた駆逐艦雪風、照月(艦これ未実装)、時雨、白露、夕暮(艦これ未実装)ら5隻は一時的に現場から退避し、6時間後に戻るが比叡の姿は無かった。
夜戦時の「見捨てないでぇー!!」はこれが元。

o機関がかろうじて生きていた(寝てません!寝てませんてばぁーっ!)にも関わらず自沈決定・囮艦とされ、
仲間が避難している間に(見捨てないでぇー!!)誰にも看取られることなくサボ島沖の鉄底海峡に姿を消した。
これが比叡の最期であり、太平洋戦争における日本海軍最初の喪失戦艦となった。
自沈が決まり「軍艦旗降ろし方」の命令が下った際、何かが引っかかって中々降ろせなかった。
まるで比叡が自沈を拒否しているかのように見えたという。
翌日には、この日に共に戦った妹の霧島もまた同じ海底に沈んでいった。


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