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かつて、銃を操り、天下を翻弄した織田信長。
彼の野望はこの世界に来ても潰えることはない。
最高の職人を得て、銃の複製を完成させ、オルテ奪還を狙う。

今回はドリフターズに登場した銃火器をチェック!!



DENIX(デニックス) 火縄銃種子島 ポルトガル伝来 1543年モデル 全長65cm [1272]ドリフターズ銃01WS000000
DENIX(デニックス) 火縄銃種子島 ポルトガル伝来 1543年モデル 全長65cm [1272]

○火縄銃(信長が愛用。増産して、兵に与える)
火縄銃(ひなわじゅう、英: Matchlock gun / Arquebus)は、初期の火器(火砲)の形態のひとつで、黒色火薬を使用し、前装式で滑腔銃身のマスケット銃の内で、マッチロック式(火縄式)と分類される点火方式のものをさす。通常、日本では小型のものを鉄砲、大型のものは大筒と称する。
マッチロック式は、板バネ仕掛けに火の付いた火縄を挟んでおき、発射時に引き金を引くと仕掛けが作動して、火縄が発射薬に接して点火する構造である
マッチロック式は命中精度と射程距離の向上など銃の性能を大きく向上させた。その一方で、火種・火縄を常に持ち歩く携帯性の悪さ、夜戦で敵にこちらの位置を教えることになる、構造上時間のかかる先込め式しか利用できない、雨天に弱い等、改善すべき点はまだ多かった。ヨーロッパではこれらを緩和し命中精度と操作性を悪化させた、回転する鋼輪(ホイール)に黄鉄鉱片を擦り付けて着火する方式(鋼輪式ホイールロック式)や、燧石(火打ち石:フリント)を鉄片にぶつけて着火する方式(フリントロック式)が開発された。
博物館の中の火縄銃と、現代のライフルなどを比較すると、グリップ付近の形状が大きく異なる。そのため、現代のいわゆるライフル銃のように台尻を肩に当てて、脇を締めて発射することはできず、弓を番えるように肘を外に張って射撃するスタイルで使用されていた(但しヨーロッパの火縄銃は、クロスボウの影響を受けた肩当ストック型のものの方が多く短床型の方が少数派)。
火縄銃は「黒色火薬を使用し」「ライフリングのない滑腔銃身で」「鉛製の丸玉を撃つ」ことから、一般的には現代の小銃に比べて威力も性能も劣ると認識されがちである。しかしながら、この条件において現代の小銃よりも不利になるのは、長距離での弾道特性、命中率である。滑腔銃身で、しかも弾丸の鉛部分を硬い金属で覆っていない場合(いわゆるソフトポイント弾)は、むしろ威力については増す。さらに現代の小銃や散弾銃と比べると口径が大きいため、弾丸自体がかなり重い。 弾丸の初速は480m/s程度あり、拳銃よりははるかに速い。したがって、火縄銃は小銃に比べれば弾丸の直進安定性こそ劣るものの、近距離での破壊力は現代の散弾銃のスラッグ弾射撃にならぶ、あるいはこれを超えるかなり強力かつ危険なものである。



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○コルト M1851(ブッチが使用。二丁拳銃)
 1851年に発売されたコルト社のパーカッション式シングルアクションリボルバー。
 1847年に製造されたコルト ウォーカーを海軍向けに小型・軽量化したものという説が有力で、コルト社のパーカッションリボルバーの中では最も売れた銃といえる。
 .36口径のM1851はネイヴィ(海軍)、.44口径のM1860はアーミー(陸軍)と呼ばれたが、別にそれぞれの名の軍に制式採用されていた訳ではなく、当時軍用.36(.38)口径の銃は全てネイヴィと、.44口径の銃は全てアーミーと呼ばれていた。南北戦争に多く使用され、.44口径のコピーモデルも少なからず生産されたようである。
 この銃のシリンダーはニップルを使うため特有な形状をしている。取り外しが容易なため、装弾した予備シリンダーを持ち歩く人もいたという。
 M1860アーミーの派生型のひとつには、軽量化のためシリンダーにフルート(溝)が施されたモデルがある。しかし、強度不足によりトラブルが相次いだことからすぐに廃止されたため、非常に希少なモデルとなっている。
 1870年代になって金属式薬莢が発明されてからは、これらのパーカッション式をカートリッジ式に改めたコンバージョンリボルバーが作られた。

DENIX デニックス 1140/L ウィンチェスターM66 ゴールドドリフターズ銃01WS000003
DENIX デニックス 1140/L ウィンチェスターM66 ゴールド

○ウィンチェスター(サンダンス』が使用。年式、型式不明)
西部開拓時代のアメリカにおける銃器開発で有名になった企業としてコルト社が挙げられる。SAAをはじめとしたコルト社製リボルバーは開拓時代において保安官から巷のならず者に至るまで護身用として所有していた拳銃であるが、それに平行してライフル銃を製造していた企業がウィンチェスター社である。
ウィンチェスター社はオリバー・ウィンチェスターにより創業され、もともとは開拓民の洋服などを販売していた企業であるが、1857年にボルカニック・リピーティングアームズ社の武器製造工場を買収し、ニューヘイヴンアームズ社としてライフル銃などの武器製造を始め、ヘンリーライフルとして知られるレバーアクションライフルの製造権を取得すると、オリバーの息子であるウィリアムにより全米で販売を開始した。
そして1866年にウィンチェスター社として改名後、ヘンリーライフルに側面装填口や先台を付けるなどの改良を施した「M1866」と、その改良型でセンターファイア実包が使える「M1873」によって人気を博した。特にM1873は弾丸の共有可能なコルトSAA「フロンティアシックスシューター」(44-40弾仕様)と共に西部を征服した銃とも称されて名高い。
改名後もライフル銃の生産を盛んに行ってきたウィンチェスター社は、その後もレバーアクションライフルの生産を続け、民間用では西部を代表するライフルメーカーとなった。このウィンチェスターライフルの中でも有名な機種としては西部劇に多く登場する「M1866(イエローボーイ)」、「M1873」が挙げられるが、これらはいずれも強力なライフルカートリッジの連射に充分に耐えられるほどの耐久力を持っておらず、ライフルでありながら実際は拳銃弾しか使用できないというものであった。
この問題点を改善するため、まずは「M1876」が完成。更に有名な銃技師ジョン・ブローニングによって「M1886」が、次いで「M1892」が開発され、それを基にレバーアクション方式を継承しながら新機構の採用や機関部の強度向上を施した「M1894」が完成した。このM1894はいくつかの軍隊に対して売り込みが行われたが、レバーアクション方式のライフルであるがゆえに機構が複雑で機関部が露出する部分も多かったため、泥やホコリまみれの野戦には不向きであると判断され、軍では不評であった。また、チューブマガジンでは尖頭弾がセンターファイア実包の雷管に干渉するので、暴発の恐れから平頭弾しか使用不可能なこと。発射に伴って弾倉重心位置が移動してしまうなどの欠点も軍用に不向きとされる要因であった。
ブローニングが設計に関わったものとして ショットガン用の弾薬を使用する「M1887」というモデルも存在するが、大柄なショットシェルとは相性が悪かったらしく、作動不良を起こすなど評価は芳しくない。
アメリカ陸軍では評判の悪かったウィンチェスターライフルであるが、その後ロシア帝国から発注を受けることになる。当時のロシア帝国における標準的なライフル弾は7.62x54mmR弾(尖頭弾でラシアンと呼ばれた)であったため、ウィンチェスター社はこのラシアン弾を使用できるように改良し、垂直式の弾倉を装備した「M1895」をロシアに輸出した。M1895は予定通りロシア軍に採用され、最後の軍用レバーアクションライフルとなった。



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○18676年型ガトリング砲(ジルドレに向け発砲)
ガトリング砲(ガトリングほう)、ガトリング銃(ガトリングじゅう)またはガトリングガンは、1861年にアメリカ合衆国の発明家リチャード・ジョーダン・ガトリングによって製品化された最初期の機関銃。日本に輸入されていた幕末・明治期にはガツトリング砲(または奇環砲、ガツトリングゴン連発砲)[1]と呼ばれていた。
外部動力・多銃身式に分類される構造を持ち、複数の銃身を外部動力(人力やモーターなど)で回転させながら給弾・装填・発射・排莢のサイクルを繰り返して連続的に発射する。
固有名詞としての「ガトリング砲」はガトリングが発明してアメリカで製造され、20世紀初頭まで使用された機関銃を、広義には同時代に他国でそのレプリカとして製作された多銃身の機関銃を指す。また、より広義にはそれと同様の連射構造を持ったガトリング形式の機関砲(機関銃)(Gatling type gun)の総称として「ガトリング砲」という呼称が用いられている。英語ではrotary canon、rotary autocannonとも呼ばれる。
ガトリングのアイデアは、銃身を環状に並べて回転させ、金属薬莢を使用する後装式の閉鎖機構と給弾機構をこれに組み合わせたものであり、それまでの多砲身“斉射砲”とは全く異なる構造の“連発砲”だった。
ガトリング砲には複数の砲身が環状に配置され、人力でクランクを回転させると、連続して給弾・装填・発射・排莢のサイクルが進行する構造であり、射撃は斉射ではなく連続して行われた。
しかし、南北戦争で双方が使用したエンフィールド銃に代表されるミニエー式小銃の強力な殺傷力が、戦列歩兵式の歩兵運用を廃れさせると、歩兵は密集して真っ直ぐ向かってくる存在から、散開しながら接近して来る存在へ変わってしまい、機動性と軽便さに欠けるガトリング砲は野戦では役に立たない兵器となってしまった。また射手はクランクを回して操作する必要性上伏射が難しいために射撃姿勢が高く、狙撃を受けやすいという問題もあった。




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